今日、(正しくは今月末付ですが)20年以上勤めた職場を退職しました。
私たち職員には、直接的には責任のない事が理由です。
責任者から話をされた時は、青天の霹靂でした。このまま定年まで勤めるつもりでいたのでね。
青天の霹靂といえば元夫の不倫発覚の時も青天の霹靂でしたが、あれで免疫がついていたせいか、同じ青天の霹靂でもあの時ほどは衝撃を受けなかったです。良いんだか悪いんだか(笑)
ただ、数ヶ月前から何かが動いているなというのは感じていたので、ああ、これだったかと。だからそんなに衝撃じゃなかったのかも知れません。
よく、「資格があるからどこでも行けるからいいじゃないか」と言われるんですが、そしてその通りではあるんですが、この歳になってから1からやり直しというのは、それはそれで色々と思うところはあります。
日々の仕事をしながらも、日いちにちと時間が過ぎていき、そして1つの組織の終焉を見るというのは、そうそう経験することではないなと、全く別のところで感じてもいました。
21年目。
そういえば元夫との離婚も、結婚まる21年だったなあとふと思ったり。
私って7に関連した年数で状況の変化が来るんですよね、何故か…。
次の21年目は何歳だろうとか思ったりして(笑)
この歳になってこういう状態になって、不安はあります。
挙げていけばいくらでも不安要素はあります。
まず病気のことがありますし。
これまではかなり配慮してもらえていたのですが、今度のところではどこまでそれが利くかもわかりませんし、慣れるまでそれ相当のストレスも掛かりますしね。私は社交的ではないし。
でも、終わってみたら、心には感謝しかない事に気がつきました。
走馬灯のように蘇る21年。
いいことばかりではなかった。悔し涙したことも、絶望したことも、谷底に落ちたこともあった。
5年前役職を退いた時、苦しい思いも悔しい思いも屈辱も全てを乗り越えてきた、その、これまで築いてきたもの全てがゼロになることに、どれだけ泣いたか。
全く適性のない(と、自分では信じて疑わなかった)新しい職場でなんて、どうせ1年ともたないだろう、と思っていました。
私は、来たくて来たんじゃないと。
ところがその職場で自分の中に眠っていた、私の全く別の一面が芽を出し、やがて花開いた。
そして今過去を振り返れば、そういう経験の全てが、「今の私」を創ってきたのだなと。
そうするとね、胸に去来するのは感謝しか無いのです。
どれほど多くの人が私と関わってくれたか。
その多くは、その人自身には私の導き手になるという自覚など全くないままに、導き手になってくれました。生と死をもって。
越えてきた過去のどれか1つが欠けても、「今のこの私」はおそらく無い。
だからこそ、ある1つの「場所」が終わった今、歩いてきた道を振り返ると、ただただ、感謝しか無いのです。
ここまで「ありがとう」という心を強く感じたのは、生まれて初めてかも知れません。
職場もそう、そこで出会った数えきれない人もそう。別れた元夫にも、今はもう遠く離れてしまった誰かにも。
ありがとうという言葉しか、今は無いのです。
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