タイトル通りなのですが、どういうことなのかというとですね。
体の中に「処理したいもの=あっては困るもの(物理的な)」がある時、基礎代謝に上乗せして、充分なエネルギーが体にある時には、「体の仕組みとして出せる」から出て来ます。
これは特に子供ですね。
さらに言わせてもらうと、昔の子供がモロにそうだったんじゃないかなー。(戦時中を除く←多分基礎代謝が精一杯、又はそれ以下の食糧事情だったのでは?)
今みたいに、必ずしも清潔ではないところで生きて来たから、抵抗力もあった。
更に、基礎代謝に加え、子供の場合は「成長するためのエネルギー」が必要なのですが、その上で「不要なモノを処理するためのエネルギー」も充分にあった子が多かったのではないかと思う。
「必要でないモノ」も、まだ少ない時期だろうし(昔の子は)。
「それ以上耐えきれずに出てしまう」というのは、いろんな手段で不要なモノの処理に『抑制』を続けていると、あるところまでは一見普通に何もないように見えても、実は溜まり続けるので、どこかで“決壊”するというわけ。
これ以上中に抱えられない、しまっておけないというところで。
これが「それ以上耐えきれずに出てしまう」という出し方。というか、「出かた」。
これ、見分けるのは難しいです。
年齢とか性別とか人種とか、そういうものでは測れない。それまで『入れてきたもの』『生じさせてきたもの』によります。なので、千差万別。
でも現代の人は、まず環境からして「耐えきれずに出てしまう」がほとんどではないかと思います。
なぜなら、『体の“出そうとする働き”』に抑制をかけるものが溢れているし、それを避ける生活はもはや不可能と断言出来るので。
その上、「不要なモノ」は常に入り続けているし。
一回量がわずかでも、モノを変え、入り込み方を変え、それが何度も何度も、何日も何日も、何年何十年となると、「直ちに問題は起きない」と言われても、「じゃあ蓄積するとどうなる?」となりませんかね。
ホント、そういうのが避けられないなかで、私を含め現代人は生きているのです。
抑制を重ねても(体の働きに抑制をかけるものが身近にいくらでもある)、どこかで体が「もう無理」と、いろんな形で出さなければいけないラインがある。そしてそのラインは、その人によって違うんです。
だから、「処理出来するのに足りるだけのエネルギー」を、なるべくまめに確保しとこう、とわたしは思うのです。
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