あなたはいつまでストレスの種を育て続けますか? - Harmonize
私のことを言いますと。
就職したあたりからですかねー、「どうしてそんなに完璧主義なの」と年長者から言われるようになりました。
「はーー? 完璧主義? え? 私のことですか?」
みたいな感じで、初めは寝耳に水でした。
だって。これが普通だと思ってたんですから。
と言うより、私は自分のことを、「不器用で、人の何倍もかけないと物事が出来ない人間」と思っていたんですよね。
でも、少し深く関わるようになった人から、ほぼ必ず言われるようになって、そうか、こういうのを世間では完璧主義と言うのか、とわかった次第で(笑)
でね、若い頃はとにかく自分に厳しかったので、自分を追い詰めてばかりいました。理想とかけ離れた自分も嫌いでしたし。
悪いところばっかり。
劣っているところばっかり。
自分には何の取り柄もないと、本気で思っていました。事実、取り柄なんてなかったですよ。
真面目だし、気の利いたこと言えないし。社交的じゃないし。可愛げもないし。
(真面目というのは、私にとってはとにかく嫌な短所でしか無かったし、真面目と言われるのも大嫌いだった)
極め付けは、大人や目上から可愛がられる性格ではなかった。
いやー、ホントに幼稚園児の時から、先生から嫌われているのがよくわかったですよ。
大人から可愛げがないと思われてるな、ってのがわかっちゃうんですよ。まぁ実際、可愛くない子供だったでしょうね。
そう思うと、そういう事ばかりが目に入り続けますから「そうか、私は人から可愛がられない、大事にされない人間なんだな」という謎の信念が順調に育ち、かつ強力なものになりました(笑)
自分の嫌なところを言ったらいくらでも言えました。
だから、自分のことが嫌いだと思う人の気持ちは、よくわかります。
私なんて「自分が大嫌い」がそのまんま体に出て、「自分で自分の細胞を攻撃する」という病気を複数持つところにまで行ってしまったしね。
自分が嫌いだったから、鬱にもなりましたよ。
あー、前置きなのに長くなってしまったわー。
完璧主義の人というのは、往々にして円の欠けたところに目が行きます。
なぜなら、「完全」を目指すから。
どっちに目を向ける? 足りないところか、「ある」ところか - Harmonize
そして、無いところを何とかして埋めよう埋めようと頑張ります。
多くの場合、自分一人の犠牲や努力によって。
そうする事で、自分の存在価値を見出すんです。
「ここまでやれるんだから、私は居てもいい」って。
子供の頃、よく思っていたのは、どんなに小さなことでも何かの課題があったとして、「これが出来ないと私は●ぬかもしれない」という、今にして思えば何の根拠もない、馬鹿げた事ですが、そんな脅迫的なことも考えながらやっていたのを思い出しました。
そしてそれが叶わないと、どうするか。自分を激しく責めます。
完全なものを手にできない自分、作れない自分、そしてそれが「自分には価値がない」という方向に行きがちです。
ちがう? 私だけかしら(笑)
これがもっと行き過ぎれば、「出来ない私は存在してはいけない」にもなっていたのかもしれません。
言葉を変えれば、「出来る私ならば存在してもいい」ということです。
だから、居てもいいように頑張り続けた。
まあ、私は子供の頃からそんなでした。
でも、全てが出来るはずもない。だから余計自分が嫌いになるという完璧な悪循環。
で、ある時、「これはこのままいったらかなりヤバイんじゃないか」と気が付くんです。
そんな時にある1人の恩人に出会いました。
これは、あとで書こうと思います。
で。
ここで、ちょっと言いたいことが。
完璧主義って、そんなにダメなことですか?
って、私は思うんですよ。
私の場合は、自分嫌いが行きすぎたところは確かにアレでしたが、社会に出てからはこの完璧主義のおかげで、同年代の中では勿論、年長者の中に入っても、かなりの信頼を得るようになりました。
幼稚園児の頃から大人や先生に可愛がられる事はなかったけれど、その代わり、社会では「あなたがいないと困る」「あなたがいると安心」「あなたになら話せる」と言われるようにはなれました。自分のポジションを自分で得ることに繋がったわけです。
これは「完璧主義」というものを一方向(マイナス)から見るだけでなく、別方向(プラス)から見たという事です。「なんだ、完璧主義、悪いばかりじゃ無いじゃん。いいところもあるじゃん」と、気が付いたのです。
それに気がついてから、「完璧主義? OK! 自分がどう使うかで、すごい宝物になるよ!」と考え方がまるっと変わりました。
この変換は、大変換だった。
それとね。
私としては、是非これを言いたい。
完璧主義の人は、多分自信がなくて不安を持っている人が多いです。だから完璧である事で他から攻撃される隙を与えまいとする。
そして完璧であるためには、寝ていては完璧なんて得られないのは当然。そこには必ず、様々な努力があるはずなんです。
そして様々な努力は(失敗しながらでも)確実に経験値となり、その経験こそが自信=自分というものの肯定に繋がっていくものだと思うのです。
そう考えると、不安がある事も、自信がない事も、マイナスばかりではない。
失敗というものは本当は無いんだ。
そう思いませんか?
だから、完璧主義も 大いに結構、と今は私は思います。大事なのはその才能をどう使うのか、そしてその才能をどう捉えるのか、それだけなんじゃないかなと。
そう、才能のひとつなんですよ。
私?
私は、完璧主義、これからも使いますよ。
だって私のためになるから。私の役に立つから。これも私の大事な能力だから。
ただ、気をつける所はあります。
力を抜いていいところは抜きます。オンとオフっていう事です。
それと、完璧にすることを存在意義と結びつける事はしません。
出来ようが出来まいが、居てもいいんです。
存在していていいんです。
奇しくも「抜く」というキーワードが出てきたので。これはやっぱり書けという事だね!
完璧主義で、(完璧主義に関わらず)様々な我慢を重ねてきた方。
その重たいエネルギー、これでもか! と抜きますよ!
どんどん抜いて、方向転換しよう! 柔らかくなろう!
↓フリーメールとハンドルネームで大丈夫です