どうも世の中には、
“自分が終わりに近い”から、“周りを道連れにしてやる”的な考えを、当たり前にする輩が意外と多いらしいというのが、この頃よくわかりまして…。
私、人間って性善説で出来上がっている…と長年信じ続けていたんですよ。
犯罪を犯す人にしても、もともとは善だったはずだと信じていたんです。生まれた時からの悪人なんていないでしょ。育つ過程で色々なモノを背負ってしまうのです。
そして多分、その通りなんだとは思うんだけど。
このところ、あー、違うんだなー、
もうそういう次元じゃない存在(人間だけど)が、強力に跋扈していたんだなー…というのを遅まきながら感じるようになりました。
こういうのがわかってしまうと、結構キツイです。性善説が大きく崩れてきたと認めるって、未来への明るさが閉ざされるような気がするので。
だって、人の根幹だと思っていたからね。
どういう生き方をしようと自由だけど、
自分らの理想、信念、そういうのを、自分以外に強制するんじゃねーよ!
と思います。
どれだけ巨大な業を積み続けるのかと思いますが、多分そういうのも、当人たちにはわからないことだろうなあ。
空は繋がってるし、
海も繋がってるし
大地も繋がってるのにねえ。
そして多分、わたしみたいに感じる人も結構いるのではないだろうか…と、思ってこれを書いたんですけれども。
そういうのがわかったから、何ができるか?
というと、自分を整える他に、ほんとに何もないのです。
「外」は変えられないのよ。
自分が中心での「流れ」を作ることで、外が変わっていくというのはあるけれども、
それにも自分を整えるというのが不可欠です。
整えるのは、物理的に、エネルギー的に。
かつて(もう何年か前)はここに「スピ的に」も入っていたけれど、すでに相当難しくなってしまったし、本物を見分けることがかなり困難でもあるので、それは除外します。
そもそもは物理世界に生きているから、除外でも大きな問題はない。偽物に関わるくらいなら、除外の方がはるかにいい。(と思っているよ、わたしは)
ただね…上にあげた「そういった人々」も、今生の「役目」として降りて来ているというのもあるからね…
そうなるとやっぱり人知で単純に「良い悪い」とは言えなくなるのです。
あ、当然業は積むよ。でもそれは別問題なので。
となると、やっぱり結局は「じゃあ自分はどうする?」に、帰るんだなー。
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