上は、yahoo! ニュース。
この方の年代は存じませんが、考え方や育てられ方は私と比較的近い方かなと思います。
「24時間戦えますか」
って、流行りましたねー。それが当たり前みたいな風潮でした。ていうか、私としては普通でした。
実際私と同年代(あるいは少し上の世代も)は、その当時のまま今でも命を削って働いている人が大勢います。
前は「命と仕事とどっちが大事?」「何でそんなに働くの?」と思う時もありましたが、それもまたその人の選んだ人生であり、他人がとやかくいうことではないなと今は思っています。
誰かに強制されたのでなく、そういう生き方を自ら選んだのであれば、例えば他の何を犠牲にしたとしても、その人はそれで本望なのだと思う。
ただ、もしもその生き方が誰か(色々な意味で。子供だったり部下だったり友人だったり…)になぞられたら…とは思います。
それもまた、「その誰か」が選ぶ人生ではありますが。
かくいう私も、貧しい中働きづめの両親のもとで育ちましたから、自分が二の次で忙しく働く事は当たり前だし、動き続けて(働いて)いないことに対して罪悪感すらありました。
定時で帰るなんて、やってはいけないことでした。特に過去の管理職時代には、定時で帰るなんて私には大きな罪悪でした。
全ての人が仕事を終わらせたあと、その仕事を自ら確認してからでないと帰れない。というか、帰ってはいけない。
そういう確認作業は誰かに任せればいいと言われる事もありましたが、私がやらなければ他の誰かが帰れなくなるのですから、それもまた強い罪悪でした。
いや、そんな高尚な事ではないですね。
ぶっちゃけた話、確認1つするにも、自分の目でないと信用出来なかったということです。
そんな風にして今の歳になり、「さあ、自分のことをもう少し考えていいよ、自分を大事にしていいよ」なんて自分に対して思ってみても、
「はあーー? 今更、何、能天気なこと言っちゃってんの?」
「だいたい自分を大事にするって何よ? どういう事よ?」
「ていうか私、動き続けていないとダメなんだけど! 全然落ち着かないんだけど!」
「 なんなら休みなんて無くていいし!」
と、自分の中でものすごいせめぎ合い(笑)
実を言うとこういう性質も数秘(+α)で分かって、それこそ、忙しくすること自体が「今生でやりたいことの1つ」だったみたいですけどね。
なんと言っても行き過ぎ。過ぎたるは及ばざるが如し、その典型です。
そんな中、やっと変化してきたのは3年くらい前からなので、まだまだ根強いものが残ってはいます。
そんなわけで。
この作品は、そうしたくても出来なかった、そうする事が罪悪だった、そういう人にとっては、「ねばべき」に気付ける良い内容なんじゃないかなーと思います。
上のリンク先のyahoo!ニュースを読んだだけでも、結構炙られるものがあると思いますよー。