◆重要◆カルマとか宿命とか運気とかスピとか言う前に、まずは現実世界です。 - Harmonize
あなたはいつまでストレスの種を育て続けますか? - Harmonize
例えば、ここに一つの写真があります。
これはなんの写真でしょうか?と聞かれたら、あなたはなんと答えます?
植物に興味のある人は「植物の写真です」というかもしれないし、
登山が好きな人なら「山の写真です」というかもしれないし、
最近ログハウスに興味がある人なら「山小屋の写真です」というかもしれない。
白い雲の写真です、という人もいるかもしれないし、青い空です、という人もいるかもしれない。
多分もっと出てくるでしょうね。
写真ひとつ取っても、それだけ違うんです。
それって何がちがうのかと言うと、「どこに目を向けたのか」で違うんです。
自分が何に興味を持っているのか、何が好きだと思っているのか、或いは何が嫌だと思っているのか。
もっと言えば、どこに目を向けたいと思っているのか、とも言えますね。
今は写真を例にとりましたが、これが環境とか日常とか人とかになったらどうでしょう。
一枚の写真だってこれだけ多方向から見る事ができるのです。
これが、人間だったらどうでしょうか。
他人ばかりではないですよ。自分も含めてです。
一面で出来ている人はいません。二、三面で出来ている人もいません。
沢山の面から出来ているのが人ですね。くどいようですが、自分もね。
人(自分)の一部分を見て「あの人(自分)は、こうだから〇〇だとか、どうせ〇〇だ」とか、思い込んでしまうことの危うさ。
思い込むというのは、「こういう風に見なきゃ!」ということでもあるんじゃないでしょうか。
そして一度「こう見る」という方向から見ると、別の方向から見るというのは難しくなるんですね。
「こう見なきゃ」という風に、固定されてしまうから。
そこにある「もの」は同じでも、一度上から見ることに固まってしまうと、例えば裏から見たり横から見たり斜めから見たり、という事が難しくなるんですねー。
その目を向けたところが「足りない」部分だったら、その足りないところをなんとかしなきゃダメなんだ、足りないからダメなんだ、となりかねないのです。
ええ、人のこと言えませんよ、私も。俗物ですからねー。
でも、そういうことを知っているのか知らないのか、知っていてもどうせ出来ないわ、で終わらせるのかでは、1日、1ヶ月、1年と時間が経つうちには大きな差になってくると思うのです。
そして、小さな変化はなかなか自分では分からないものです。
足りないところが足りるのを待つのが習慣になっていると、結局何も変わらないままです。
千里の道も一歩から、ですね。
そしてはじめの一歩というのは、1番エネルギーを使うのです。
はじめの一歩が踏み出せれば、その先はその踏み出したエネルギーの惰性で進みます。
自転車の始めの一漕ぎみたいに。
そんなわけで、一歩踏み出してみません?
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