~~エネルギーデトックスワーク協会認定上級セラピスト・1dayセミナー講師 NAMIです~~
前回の続き。
ひとつのワークをここまでやり続けるのは初めての事です。1人だったら出来ません。絶対途中で逃げてます。
どんな流れでその質問だったのかが思い出せないんですけど、
「これまでに、本当はめっちゃ嬉しかったのに敢えて喜ばないようにしたことは?」
という質問がありました。
「いやー、もともとあまり喜怒哀楽を出さないで生きてきたので…例えばアレとかコレとかかなー…」
「いや、もっと前で」
「うーん、コレ」
「もっと前は?」
「うーーーー…思い当たらない…喜んだ事自体あまりなくて…」
「幼稚園の年長さんの時はもう、大人から見たら可愛くない子供だって事を自覚していたな…」
「そうそう、可愛くないし、具体的にそういう事は何もないのに、自分の事を【汚い】とも思ってたな…」
と、言いながら、記憶が戻っていく。
『そういえば私、母親に笑い顔見せるのが妙に嫌だったなー』とも思い出した。
「やっても喜べないなら、ほんとにやりたいことはできなくなりますよね」
「すごく嬉しかったのにバシッと否定されたことは?」
「ああ、そういえば。
4、5歳の頃、酒屋に空き瓶を持っていくとお金をくれると誰かが言って、幼馴染みの男の子達と一緒に、空き瓶を集めて酒屋に持って行って小銭をもらった。
(そしてそれで、ガムを買ってみんなで分けた事をこれを書いていて思い出した)
それを母が知って、【そんなみっともない事をして!!】と、えらい叱責されましたねー」
「この世で生まれて初めての【自力でお金を稼いだ】という事を【みっともない事】と怒られたわけですね」
「そうか、あれはこの世で初めての【自力でお金を得る】という1度きりの経験だったんですね(→初めてというのは何でも1度だけですからね)」
その後、グシャっと潰されたその時の【嬉しい】【喜ぶ】という感情を、もう1度感じ直しててみようとしたんですが、
【耐える歴】
【喜怒哀楽を出さない歴】
が長すぎるせいか、
『えーと…喜ぶってどうやるんだっけ?』
『こんな感じ? コレ、喜んでいる、になっているかな?』
と自分でもよくわからない有り様。
仕事では喜怒哀楽を出さないというのは役に立った面も確かにありましたが、こんな風になっていたとは。
「『喜ぶ』というリハビリをしないとですね」
と言われました。
喜ぶって、ものすごく大事な事ですよね。
ちょっとしたことでも大袈裟に(リアクションできなくても心で)喜ぶ事を意識してやっていきたいです。
多分、私は意識しないと出来ないと思うので。
「喜ぶ」を感じなくなった(喜怒哀楽を出さなくなった)(泣くことだけは出来た)→本当は「何かをやること」で感じる喜びを無かった事にしてきた→本当はやりたかったけどないふりをしてきた→でも押し込めていただけで実は山のようにあった
のカタチが、『山のようになったやりたい事リスト』なのかもしれません。
もうひとつ、勉強会後に気がついたことがあります。
私は毎年必ず夏になると、病気から来るひどい皮膚炎になります。もう20年以上になりますが、いとも簡単にあちこち化膿して、本当に【汚い】状態になるのです。とても人には見せられないくらいに。強い薬で抑えても抑えきれないくらいに。
これも、『ないふりをして長年押し込め続けてきたもの』が、夏になると出やすいところから(私はそれがきっと皮膚なのだと思います)出るだけのことだったのでは、と。
そして、幼い頃からなぜか自分を【汚い】と深いところで思ってきた、その通りになるということなのかも知れないな、と。
今年はまだその症状が出ていないのです(いつもなら出ている時期)が、勉強会という『場』で、山のように押し込めていたものが出てきた、というのも不思議だと思います。
偶然と言ってしまえば偶然ですけどね。必然と言えば必然で、私は必然を選択します。何故ならあまりに出来すぎているので。
また長くなったので、続きは次の機会に。
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