これの続き。
糖質(しつこいですが、自然界に存在する糖質)の代わりに脂質やタンパク質を分解して糖質に変えるなら、それでいいじゃない。最終的には糖質になるんでしょ?
と、思いますよね。わかります。私もはじめはそう思っていました。
だから、糖質をとらない代わりに、体組織を崩さないで済むように、オメガ3やら6やらをせっせととっていたのです。
今思えば信じられないですが、小スプーンで亜麻仁油とか飲んでましたよ…それがいいと心から信じて。ずーっと。
『仮に少しくらい体を崩されても、最終的に糖質に変換されて脳や赤血球やら心臓やら重要なところにいくならそれでいいんじゃない?』
…ところがそうではなかったんですよ。特に、「少しくらい崩れても」じゃ、全然なかった。
最終的に発生してくるアルデヒドの細胞に対しての毒性を知って、また、ランドルサイクルのことを知って、そしてストレスホルモンが及ぼす影響を知って、「本来の体のあり方とは真逆のことをしていた」と知りました。
逆のことをずーーーっとやっていたんだから、このあいだまで何でもなかった薬に突然アナフィラキシーを起こしたり、いくつも自己免疫疾患が発症してくるわけですよね…その上、確定診断はしていないものの、「とある疾病の疑い濃厚」というものが、いろいろな疑問が生じて食の方向転換をした当時(3年前)は、さらに2つも出てきていました。
それを知らされた時の精神的なショックは、なかなか甚大で。ああ、こんなにやってきたのに、私の体もう終わったなと思いました。とにかく私の場合は、免疫反応が狂いまくったんですねー…。
本来なら生命体の維持に向くものが、そうではない方向に向くようにしていたのだから、速やかに処理されるべきモノが処理されずに残り続けるのも当たり前といえば当たり前で。俯瞰して見れば、それすらも「生き残ろうとする体の働き」でもあるわけで、先入観や刷り込みをゼロにして改めて学び始めると相当奥が深いのがわかりました。反面、大元は単純と言うかものすごくシンプルなんですよね。
発症に関しては、もともとそういう血筋であった(祖母が膠原病)というのもあるとは思います。何かのきっかけで表に出てくる素因を持っていた、という意味で。
親戚内で、私以外に免疫系統の病気をここまで発症した人はいないので、やっぱり「後天的な要素」が大きいのだろうと思っています。
たびたび書いていますが、低血糖は、生命体にとっての最大のストレスです。体内のあらゆる仕事をする燃料が入ってこないわけですから。
だから本来は体をつくるものである脂質やタンパク質の組織を分解してでも、糖を確保しようとします。
これは、糖が唯一のエネルギー源であるためなんですね。
でなければ、わざわざ脂肪やタンパク質を分解する という手間をかける(その分だけ、ただでさえ貴重なエネルギーを消費するのに)必要はないはず。
そうして体を分解して得たブドウ糖も、体の中に多価不飽和脂肪酸があれば、糖が細胞内で使われない。体はまた組織を崩す、血中には糖が余るという悪循環が始まります。
私はスピやエネルワークには抵抗がなく、それどころかエネルギーワークに関しては結構やる方かもしれませんが、それでも、現界に生きる以上は、あくまでも【第一に『物理』=『体』】と思っています。
スピやエネルワークも“上手く使えば”かなりな力になるけれど、物理を疎かにしては全然意味ないとすら思っています。全然意味ないというのは言い過ぎかもしれないけど…経験上、それほどハズレているとは思わないなあ。
今年の誕生日前後からまた、改善の仕方が早くなったように思いますが、
これは『物理である体への整え方』『エネルギー的な整え方』『スピ的な整え方』の、それぞれが上手くカチッとはまった結果なんだろうなと思っています。ただし、波はあるのは言わずもがなですけどねー。
それでも、下向きの波が来た時の底は、徐々に上がってきているのもわかりますけどね。
俯瞰で見ること、
一方向からは見えない方面があるかも? と思ってみること
“ある考え方”や“常識”が生まれた背景には何があったのかと知ることも、時には必要じゃないかなー。
ひとつだけ、これは確かだよねと思うのは、
『体の仕組みというのは、文明がどう進んでも変わらないはずだ』
ということですね、私は。
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