◆エネルギーデトックスワーク協会
認定上級セラピスト・1dayセミナー講師
NAMIです◆
生まれてから出たことのなかった県から別の県に引っ越しをしたのが、去年の11月になります。
動く、ということに向けて、文字通りあらゆる事が自分の力を超えたところで集約されたようで、当時はそれがむしろ恐ろしいくらいでした。
今世界的にこういう事態になっているのを見ると、なるほど動くにはあの時点までがギリギリだったんだなとわかります。
年末にはすでに、新型肺炎の報道がされていましたからね。ただ、あの時点ではまさかここまで地球規模になるとは予測していませんでしたが。
あの時に動いていなかったら、その直後にはコロナの蔓延が始まっていますから、もう動くことは出来なかった。
(事実、現在これほど荒れた中では動くことなど出来ません)
そして、当時、動くためにはどうしても不可欠な、ある大きな働きをしてくれた人がいたのですが、あの時動いていなかったら、それに代わる人が果たして現れたかどうか自体もわかりません。
その働きをしてくれる人が居なかったら、少なくとも私が生きている間は(場合によっては息子の代になっても)そこから動く事は出来なかったでしょう。
出来事が配置され、人が配置され、
寸分の狂いなく事が進んだと今でも思います。
一方、年を跨いでの転職活動では、整いかけると止められるのが妙に続いて、こちらは『時期では無いらしい』と動くことをやめました。
なるほど、こちらのほうは、動いていたら今よりももっとコロナの影響が強いところに身を投じざるを得なくなったであろう事が、今になってわかります。
つまりは同じ【動く】でも、最適な時があるんだという事と、動くべき時は間髪入れずに動かないと、場合によっては永久にその時を逃すんだなということです。
そして、そういう事って、あとになってわかるんだなと。
特に引っ越しの怒涛の流れにいるときには、あらゆる事がいっぱいいっぱいで相当キツく、つらく、どうしてこれほど流れが急なのか?
どうしてこれほど、次から次なのか?
もっとゆっくり、余裕を持てないものなのか?
と思いながら動き続けました。
1度止まったらもう動けなくなるとわかっていたので、まるで息を止めての全力疾走のようでした。
これも今ならわかるのです。あの速さでなければ間に合わなかったんだなと。
こういうのも【塞翁が馬】というのかどうかわかりませんが、物ごとはそこが終わってみないとわからないなと思います。
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