以前閃きについて書いてますが
先日書いた「そういえばシリーズその3」
「そう言えば」シリーズ3 ◆エネルギーデトックスワーク◆ - Harmonize
に絡んでそういう事だったのかーと合点がいったので、書きます。
少し前にマイコさんのエネルギーデトックスワークセッションを受けたことは書きましたが
自分の今の状態を保つだけでも大変な時代になっている。と思う。 - Harmonize
その時に「痛みの記憶を取って置いている」「もう要りませんよね」と、抜いて頂きました。
実はですね、私は子供の頃から「おかしいんじゃないの」ってくらいに怪我ばかりしていたんです。
あまりにも多いので、「お祓いした方がいいんじゃ…」と言われたこともあったくらい。
なのに、セッション時は「痛み」と聞いてもピンとこなかったんですね。思えば、あまりにも多いので、かえってピンとこなかったのかもしれません。
そういえば、あんな痛い思いをしたじゃん! なんで忘れてたの? とアリアリと思い出したのが先日の「そういえばシリーズ3」、膝の大怪我の記事。
あの記事を書いた日、お風呂に入っていたら突然、
「痛み」
「体の痛み」
「心の痛み」
「痛みは贖罪のあかし」
「痛みを味わうことで罪が許される」
「許されるためには痛みを味わう事が必要」
「許されたかったら痛みを味わわないといけない」
「痛みを味わわなければ許されない」
という訳の分からない謎設定がドンドン浮上してきました。
だから、「痛みの記憶を取って置いていた」というわけですよ。それは、「体や心が痛んだ事で罪を償った」という記憶になるのですからね。
成る程、自分ではそんな事に気付きもしないから、抜けないものだったわけです。
マイコさんのセッションで、自分で抜けないものを抜いてもらったことで取っ掛かりを得て、膝に残っていたものが抜け、またそれをきっかけにして「痛み=許されたあかし」という変な設定が明るみに出てきたんですねー。
成る程ねー。
いきなり膝が伸びたわけがわかる。
狙って膝から抜いたわけじゃなくても、要らないエネルギーを浅いところから着実に抜いていくと、こういう深いところが抜けて変化も起きてくるということですね。積み重ねって大事です。
そして、「許しと痛みとがセットになっている」という設定ですが、これはなんだか、感覚的にものすごく腑に落ちるんですね。
「ああ…まあ、わかるな、そうだな」みたいな。
どう言っていいのか難しいのですが。
…ですが、もうその時点でそういうものがあるとわかったので、そこからは「贖罪の証として痛みを味わわなければいけない」という道とは別の道を進むようになるんです。多分。
顕在意識にまで浮上してきたってことは、そういう事なんですね。
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