今週のお題「おとうさん」
うちの父。
何歳になったんだろう、と考えて驚きました。そりゃそうだ、私だってこんな歳になったんだからね。親だって歳をとるよね。
うちの父は、中学を卒業して、その後地元で働いたのかな? どちらにしろ、十代でこっち(南関東)に出てきました。鹿児島から。
親兄弟や親戚は鹿児島や九州、1人だけこっちに出てきたのです。詳しくは知りませんが、当時次男坊は外へ出るしかなかった時代だったのでしょう。
九州のとある島からこちらに来て、その苦労は並大抵のことでは無かっただろうと思います。
幼い頃、若い父の作業着姿の白黒写真をみた記憶があります。確か、ミニカーを作る工場で働いていたように思います。
その当時母と知り合って、私が生まれました。
自分がその時の父と同じ歳の頃を考えると、そして息子達が同じ歳の頃を思い出しても、「こんな歳で親になったのか」と思います。単身こちらに出てきて、しかも貧しい中、初めての子育てはどれほど大変だったことか。
父との思い出でいつも思い出すのは、仕事に行く父の後をいつまでも追いかけて、父が何度も戻って来てなかなか仕事に行けなかったこと。
背中に日焼けの小さな水膨れを沢山作りながら、父がトタン屋根にペンキを塗っていたこと。
一緒に銭湯に行ったこと。
床屋さんに連れて行ってもらったこと。
毎年毎年、近所のお祭りに連れて行ってもらったこと。
でも、両親の仲はそれと反比例するように段々と悪くなっていきました。
今にして思えば、母が私に異様に辛く当たったのは、そういったことも多分にあったのでしょう。
御多分に洩れず、私も思春期の頃からは父の嫌な面ばかりが目について本当に毛嫌いしていました。
それでも記憶には、父がいつも家族を守ろうとしていたことがちゃんと残っています。
家を乗っ取ろうとするヤクザがらみの男に目をつけられた時は、死を覚悟して対峙しに行かざるを得ないところまで追い詰められていたことを、よく覚えています。
ギリギリのところで救世主のような人が現れて、事なきを得たのです。
「人は叩かれた記憶は残るが愛された記憶は残りにくい」
とも言われます。確かにそうかもしれません。
ですが現在の父母を見ると、不思議なことに悲しい記憶、辛かった記憶は、思い出そうとしなければ、愛された記憶よりも先には出てこなくなりました。
不器用だった父母。まだ若く、成長途中だったに違いない父母。そしてそんな中で、恐らくは懸命に親であろうとしてくれた父母。
その一生懸命であったに違いない気持ちを思うとき、本当に両親の人生を愛しく思います。
そして、私に人生を与えてくれた事を、心から感謝するのです。
私をこの世に誕生させてくれて、ありがとうございました、と。
↓フリーメールとハンドルネームで大丈夫です