自分は最後でいい。
まずは他人。自分は一番最後。
それが、ダメというのじゃないんですよ、全然。
私も長年、(ほんの数年前まで←ある種の『戒律」が明るみに出始めるまで)ずっとそういう強迫観念のもとで生きてきたし。
従ってそういう価値観のもとに、全ての選択をしてきたという自覚がありますから。
“自分の”ことにのみそれを適用するなら、全然構いません。自分の道をつくっていくだけだし。
“それ”が困難な方に行く原因なんだと、仮にこちらから分かるとしても、何も言いません。聞かれればアドバイスくらいはするけれど。こちらからはあえて何も言わない。
“求められてもいない”のにそれを“教える”ことで、こちらが業をつくることになるから。
そして、結果的にそれがその人にとってマイナスになることの方が、圧倒的に多いから。
一時凌ぎで先送りにした分、積み重なったものも、まとめてどうにかしないといけなくなる時が来るみたいな感じ。
“ある”モノを“無し”にはできないんです。あるからには、必ず“清算(?)する時期が来る”ということ。
だからこそ、“良かれと思って”先回りして手を出す、口を出すことの危うさって、実は決して軽いものではないんですよね。
…でもねー、やっちゃいますよね。
私も散々やってきた。ベースにあるのは「心配」という気持ち。
本当に安心することが出来て、信頼していたら、すべて任せられますもの。
どこかに「助けてあげないとダメなんだ」「任せておいたらダメなんだ」あるいは「私が全部やってあげないと!」「自分のことはどうでもいいから周りを優先!」(←これはこれで、その人の方にこそ原因がありますね…過去の私ですが)みたいなガチガチな縛りがあったりします。
心配って、その人のことを大事に思っているからではあるんだけど、された方は結構な(エネルギー的な)負担になるんですよ。された方だけじゃなく、した方も、思う以上にエネルギーを消費します。
…で、“ある”モノは“無し”にはできないってのは、こういったことばかりじゃなく、全てにおいて言えるんです。
からだの上でもです。
これが一番影響大きいですよね…からだがあってこそ、物理世界で生きていけるので。
あるから出てくる。
それはからだも一緒なのです。
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