厄年。日本人にはとても馴染み深いものです。
私が感じる限り、全ての人に当てはまるわけではないですねー。全然それにハマらない人もいます。私がそれでして、厄除けというものをしたことが一度もないです。
何年か前までは、確かに厄年という法則のようなものに当てはまる人は、現在よりも多かったのではと思います。
なのでおそらく、厄除けも(当てはまる人が多かったのだから)それなりの効果があっただろうなと。
ただ、今は、
①完全にそこから逸脱している人がいる
②厄年という「排出期」「浄化期」にも“出せない”人がいる
③従来通り当てはまる人もいる
という感じかなと思っています。私はね。
①②の両者、厄年が当てはまらない、という外観(?)は同じでも、内容は全く違ってきます。
見分け方は…わかりません。エネルギー的にスッキリしていても出す人は出すし(ある意味“出せる”ということかも)全然出てこないけど相当溜め込んでいる人もいるし。
でもわかったところであまり意味ないかなー。やることは所詮いっしょなので。
「じゃあどうしようか?」
を自分の頭で考える、ということになります。
あと、厄年とか、他にも◯◯殺とか、〇〇ナンバーとか、「自分はこれだから運が悪い」とか、そういったものにあまり拘ると自分(自分以外にも)に対しての呪いにもなってしまうので、それはちょっと自覚した方がいいなとは思います。
体でいうと、「不要なものを排泄する機会」と同じ感じですかね。やっぱり体の面でも現代は「出せなくて(出さなくて・出すべきところを抑制して)溜まる一方」というケースがあるので、それと同じじゃないですかねー。
物理の面でもスピ的な面でも、基本的には同じなんだなーとつくづく思います。
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