この一、二ヶ月ずっと感じていたものが、ようやくというか、やっぱりというか、身近で顕在化してきました。
と言っても、私の進みたい方向それ自体には何ら変わりは無いので、それほど深刻になってはいませんが、ぶっちゃけ変化するのは怖いですね、やっぱり。
ちょっとした変化なら今更怖さは感じないし、これまで通って来た程度の変化でも経験済みなので不安もないでしょうが。
今度はこちらから動いていったのではなく(広い意味ではこちらから動いた結果ではあるんだけど)、向こうから来た動きなのと、その動きの幅がこれまでに無いものなのです。
突然ですが、今までの『目標』を仮にaとします。
aが最終的な目標だとばかり思って来ましたが、更にその先があるらしいことを何となく感じるようになりました。
これをAとします。
私の常識で言うと、このAというのは、夢物語のような範疇になります。
まず達成できないし、知識も人脈も必要。例えば、自分の親が実業家でその権利を相続したとか言うなら別ですが。
でも、今回の動きが顕在化したタイミングで、「私はこれをやりたかったのかも知れないなー」というのに気が付いた感じです。
これまで目標だと思っていたaは、そのAの達成のための過程に過ぎないのかも知れないなーと。
そう言えば、随分前にチラッと、そんなことを言っていた事があったなあ…と思い出しました。
でも、それはあくまでも自分ではなく、
「誰かやってくれればいいのに」
的なものでした。自分のこととして考えるだなんて、あり得ないと考えていたのでね。
でもそう捉えてみると、どうして私がこういう仕事を長年やってきたのか、5年前にまるっきり適性外と信じて疑わなかった部署に配属されたのか、その場で「ある傾向の方々に主に関わる機会が飛び抜けて多かったのか」が何となく腑に落ちたのです。
そうか、Aが(多分この人生での)現世的・物質的な目標だったのかなと。それを深く落とし込むためにこういう経験をして来たんだなと。
その裏には精神的、霊的目標も当然絡んでくるんですけどね。
ああ、そう言えばマイコさんとご縁が出来たばかりの頃、潜在意識とチャネリングするセッションを受けたときに、「今生の目的は『霊性の向上』です」とか言ってたなぁ。あの時はピンとこなかったけど。
…さて、果たしてどこまでいけるでしょうか。
人生100年時代とか言われるようになって来ましたが、肉体がある以上は自ずと限界がありますからね。
千里の道も一歩からといいます。
人生が終わってみたら5歩くらいしか進まなかったなーという感じかもしれません。それどころか1歩、2歩くらいにしかならないのかも知れません。
あるいは、まだ形にも何にもならないうちに、私の思いを誰にも語らぬうちに、突如「向こう」に行かなければならなくなるのかも知れません。
でもそれはそれで、きっとその過程すらも私はやりたくて、こっちに来たんだろうなと思います。
現役で働ける年数はあとどのくらいなのか、そもそも自分の寿命がどこまでなのかがわからないので、本当に今の時点では夢物語でしかないんですけどね。
そう考えると、まさに「時は金なり」です。
いや、違う。
金よりももっと価値があるのです、時間って。
(今月のエネルギーデトックスワークのセッション日は7月25日です)
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