◆重要◆カルマとか宿命とか運気とかスピとか言う前に、まずは現実世界です。 - Harmonize
あなたはいつまでストレスの種を育て続けますか? - Harmonize
こちらでちらっと書いた「恩人」の話。
完璧主義は悪いこと?取り柄なんて何も無いと信じていたころ - Harmonize
人から認められる、褒められるという経験が乏しかった私は、とにかく自分に自信がありませんでした。
自信がない裏返しとして、無意識のうちに、どこからも文句をつけようのない自分を目指した(で、当然ながら完璧主義に…)のでしょうが、まあ、そんな理想叶えるのは無理ですわね〜。
何故ならその理想というのは、自分ではなくて、他人に左右される事なわけですから。叶うも叶わないも「他人次第」となりますからね。
他人によってもたらされるものなんです。
結果的に自分の首を絞めることになりました。
もともと目が向いているのが「自分の中の、無い部分」ですから、どんどん不安や焦りが募り、どんどん無い部分ばかりが目につくようになります。
不安や焦り、怒りすら生まれてくるという絵に描いたような悪循環に。
やがて自分が大嫌いになるのも当たり前のことで、不倫されるわ、鬱になるわ、離婚するわ、自分の細胞を攻撃するという病気をいくつも発症するわ、そのおかげで僅かな自尊心の支えだった仕事もまともに出来なくなるわ…という、負のスパイラル真っ只中に突入していました。
子供の事で解決なんてはなから出来ない悩みもありましたし、いやー、ホントその当時はかなりキツかったです。
恩人とはその頃に出会えました。
その人が負のスパイラルを抜けるきっかけになったので、まさに私にとっては一生の恩人。
その人が私に何を与えてくれたのかというと。
「無条件の承認」
ただそれだけでした。
ただそれだけ。
でもこれが、人にとってどれ程大切な事でどれ程欲しいものであるかが、よくわかります。
しかもそれは無条件で、なのです。
何も条件無しに、「あなたはそのままで素晴らしい」と言ってもらえること。思ってもらえること。そしてそう扱ってもらえること。
「これが出来るからあなたは素晴らしい」
ではなく、出来ても出来なくても素晴らしい。
というもの。
「生きてるだけで、ありがとう」
というものでした。
「ありのまま」と「わがまま」を混同しているかたもいますが、ありのまま認めてくれる、ということは、わがままをなんでも聞いてくれる、という事とは全く違います。
実際その人には、耳に痛い事も山のように言われたものです。
(数秘的に8の強い人でしたからねー笑←そして奇しくも私の課題数は8です。つまり、その人は私にとっての先生役でもあったと言えます)
そういった経験からはっきりと言えるのですが、
「無条件で認めてくれる人がいる」
「生きていることそのものを、ありがとうと思ってくれる人がいる」
ということは、人には無くてはならないものだろうと。
そういう人が1人でもいるというのは、何か大きな壁にぶつかった時や絶望の中にいる時に、生きる最後の力になるのではないかなとすら思うのです。
そしておそらくそれは、「現在のこと」だけで無く、「そういう人がいた」という過去の経験でも言えるのではないかと思います。
望ましいのはその役を果たすべきは、親なのでしょう。
ですが、色々な事情からそれが叶わなかった人もいるはず。
だからこそ、それがもうすでに大人になった子であっても、たとえ自分がその子の親で無くても、
「誰かの存在を認めてあげる」
というのは、その誰かの命を救うことにもなるんじゃないかと思うのです。
自分の言葉が、行動が、思いが、誰かをいつか救うかもしれない。
立派なことなんて言えなくても、口下手でも、不器用でも。成績も学歴も収入も関係無く。
あなたが、誰かによって救われるかも知れない。
そして、あなたが、誰かを救うかもしれない。
あなたが未来に救う予定の(しかもそれは大げさな何かでなく、ほんの少しの言葉掛けかも知れない)、誰かがいるかもしれない。
だから、意味なく生まれてきた人なんて、1人もいないんだろうなと思うのです。
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