◆エネルギーデトックスワーク協会
認定上級セラピスト・1dayセミナー講師
NAMIです◆
個人的なことなのですが、自分への注意的な意味合いで残しておこうと思います。
世界的に、自己責任というものを、色々な意味で強く求められるようになってきたのは、特に2、3年前くらいから顕著になったかなという気がしています。
色々な意味で、というのは、文字通り色々な意味において、でして、詳しく書けないんですけど…。
自己責任と、言うのは簡単。
でも自己責任って重いし怖いと思うのです。
特に【知っているのにやらかす】というのは、【知らなくてやらかす】よりも、はるかに。
はるかに責任が重い。
私にも
【知っている=これまでに人を変え、機会を変え、手段を変え、言葉を変えて、本質的に同じ事を言われている】
という、無意識にまたやっている、という事があります。また同じ種類のことをやっている、と気が付いて、うんざりすることもあります。
これは、
【何度も指摘してきたのにやらないなら、実はやる気がないと見なされても仕方ない】
ということになると思っています。
知っているのにやらなかった(あるいはやってしまった)責任は、知らなくてやらなかった(やってしまった)よりもはるかに重いです。
知りながら、【敢えて】やらなかった(やった)ということになるのです。
私は、これこそが自己責任となるのだと思っています。
『知っている』というのは、『知っているという責任がある』ということ。
私の場合は、
昔から息をするのと同じレベルでやってきた事がありました。やろうとしなくてもやっている、という事です。息をするようにですから。
そしてそれが、
これからの時期にはもう合わない、もっと合わなくなってくる、
それどころか、ある大きな流れに逆行する(邪魔になる)ものとなる事がわかってきて、
それはもう1歩ずつでもいいから、そこから抜け出ないといけない。
自分の方が変わっていかなければいけない。
…という事を知ったわけです。
そして知ってしまったとなったら、選択の余地はないのです。
その上、『求めて知った』となれば余計に。
偶然知ったんだよ?
教えてくださいと求めたわけじゃないんだよ?
という考え方もあるかも知れません。
でも、それは違うな、と思っています。
知りたいという(潜在的にでも)願望があったからこそ、知るに至ったわけなので。
(自分が気がついていないところででも)求めたから、それが自分に入ってくるんですよね。だから【知る】ことになったんです。
まあそういった小難しいことは置いておくとしても、上に書いたように
【機会を変え、人を変え、手段を変え、言葉を変え、etc】
同じテーマに沿って気付かされるというのは、やっぱりどうしてもこれは、同じハードルのところで引っかかっているという事に他ならない。
ヒヨコの歩みでもいいから、薄皮を剥ぐのでもいいから、とにかくこのところを少しでも前に進めたいと思います。
次に同じ種類のハードルが来た時に、同じことをしないように。
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