人生でそう何度もないイベントが、先日無事に終わりました。
『子供の引っ越しくらいで、なにを大袈裟な』
という方もいるかもしれませんが、これは本当に、私の人生においての一つの大きな目標でもあったのです。
私がいなくなった後、自活していけること。
私が死ぬまで一緒に居続けるというのは、もちろん私にとって1番楽です。
何より寂しくないし、配偶者がいないなか、これから歳をとっていく不安も軽減され、息子が一緒にいることでの安心感もある。
でも、私の安心と引き換えに、息子の経験値は失われてしまう。
夥しい経験から生まれる知恵や、そこからの化学変化も、失われてしまう。
若い、柔軟性がある時代の経験は、何ものにも換えようがありませんし、あまりにも貴重です。
私なきあと、それで本当に困るのは息子です。
私と共にかつての家を出た時に(つまり1年半前)、1番はじめの計画では、息子も独立するつもりでした。
ところが、当時はまだその時期ではなかったんですね。
引っ越しが終わった直後のコロナ禍突入で、エネルギー的にも『動くことそれ自体が望ましくない時期』に入ってしまいました。
これは、いつになるかわからないな…と腹を括って過ごしていたところ。
先月末から突然歯車が動き始めたようにして、驚くようなスピードで、終わりました。
息子がいた、もう何も無いがらんとした部屋を見ると、寂しさが込み上げてきますし、涙も出ます。
親よりも元夫よりも、誰よりも、
私が生まれてから1番長く、すぐそばで生きてくれた人です。
それは息子にとっても同じこと。
でも、この寂しさにもいずれ慣れるでしょう。
本当にダメなら、いつでも帰って来ていいよという逃げ場は勿論残しています。
少し離れたところから、いろんな意味で応援し続けて行こうと思います。
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