…ということが、現在進行形です。
実は、見て見ぬ振りをしてきた。
遅かれ早かれ、今のようなことになるだろうとは、予測できていた。
じゃあなぜ手を出さなかったのかというと、シンプルに、自分が関わらずに済むことを期待していたから。
でも、
「このまま関わらない」でいて、自分がどう感じるだろうか と、
「関わって被ると予想されること」を経験して、自分がどう感じるか
を想像した時に、
「あー、関わって味わう感情の方が、知らん顔して感じるであろう感情よりも、私はより心地よいわ。
と思った。
AよりもBのほうがいい、という単純なものならそれほど決断に迷わないけど
これはAも嫌だな。Bも嫌だな、という選択肢です。
当然AもBも選ばない、という選択も可能。
が、私はどっちも選ばないというのが、そういう私は好きじゃないわ、とはっきりしているから、どっちも選ばないという選択肢は無いのです。
選択肢自体はどっちも嫌なんだけど、Aをする私よりもBをする私の方が、圧倒的に好きだわと思ったわけ。
ややこしいね。
三、四年前なら、「私はこういう立場なんだから、こうするべき」で考えていただろうな。「べき」とか「良いか悪いか」での選択だから、すごいストレスになる。
それでも出来ることはできるし出来ないことはできない。出来ないことをやろうとは思っていないのが、我ながら進歩だわね。
そして、以前の私だったらめっちゃストレスで不安や心配を感じただろうけど、
ストレスはストレスだけど、
なんていうか、とにかく前とは違ってるなあと思う。
案ずるより産むが易し
になればいいなあとも思うけど、物理世界でそうそう都合のいい事は起こらない。
(実は、起こるんだけどね。神がかり的な展開は、存在するのよ←経験済み)
究極的な事態を仮定して腹をくくったからなのか、
内面的に昔の私には無理だったことが、今の私はなんとか処理出来るんだろうね、多分。
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