Harmonize

エネルギーデトックスワーク協会認定上級セラピストのブログです。不調の原因は、体に溜まり続けた不要なエネルギーから来ているとしたら? 不要なエネルギーは、抜くことができます。エネルギーデトックスワークは、それができる『技術』です。

2025年を振り返る

 

◆プロフィール◆ - Harmonize 

~~エネルギーデトックスワーク協会認定上級セラピスト・セミナー講師 NAMIです~

 

 

はい。今年の振り返りです。

 

 

①動じなくなった。  

動じます。人間ですから。

ただ、その振れ幅が絶対小さくなってるのね。

とにかく「不足部分はどうにかしないと」「出来ないことは努力で出来るようにならないと」「これがこうなったらどうしよう」みたいな【自分を追い詰める】という傾向がとにかくやわらいだ。

これがもう、本当に楽。

やることやっていてそれでも追いつかないことがあれば、もうそれは仕方がないことだよね、という、いい意味で諦められるようになった。なかなかその諦めが出来なかったのよ。強力な自責の方に行ってしまってね。

所詮、出来ることしか出来ないんだよね、というのを理解したと言いますかね。

 

(ちなみにこの変化はこちら

によるところがかなり大きい)

 

とてつもなく大きな楔が抜けた感がある。

これのどこがすごいかって、あらゆることに関わってくるというところ。

本当に、捉え方、考え方、諦め方、といった姿勢? 選択の仕方? そういうもの、全てのことに関わるのですよ。つまり人生の運び方に関わるということです。大袈裟じゃなく、そういうことです。

だからこそ思う。「せめて十年早くここまで辿り着いていればなあ」って。

わかるのよ、辿り着くまでに不必要なものは、何一つなかったことは……って、実はそうじゃなかったということも、無駄に手を出していたと言うことも、今はわかってるけど(笑) つまり、そういう「実は不必要だった」ことに激しく消耗していたエネルギーを、本当に自分が望む別のところに使えていたらな、というね。

 

2つ道があれば、必ず苦しい方、苦労する方、厳しい方をなんの疑問も持たずに当たり前のこととして選んできた若い頃。いや、つい最近までそうだった。

客観的に見れば「なんで?」ということでも、謎フィルターがかかった目で見てたから全くわからなかったというこの怖さ。ここにどれだけの楔が打ち込まれていたのか。

 

その選択の上に今の自分がいるから後悔はないけれど、やっぱり思うのは、「もっと楽に生きてくることも出来たんだなあ」ということでね。

楔、恐るべし。

 

このところ謎に「余生感」が強いのも、そういうのも関係してるんだろうか。

 

 

 

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②体の不調が出てくるのにはちゃんとは訳があるのだと、体は教えてくれる。

 

一言で言ったら、体って入れたもので出来てる、ってことなんです。

 

高校生の頃、半月板損傷で手術をしている左膝。

ずーーーっと調子が良かったのに、じわじわと腫れてきた。つまり、俗に言う「水が溜まる」というやつ。

負担が掛かったわけでも、ひねったりしたわけでも無い。

食の転換をしてから秋で五年目に入りましたが、とにかく調子がいい。なのになぜこうなるのかがわからなくて、でもだからこそ、肉体的に何か原因はあると思って探りました。

 

原因は「エネルギー代謝をもっと上げようとして摂りすぎた」ことが原因では…と割とすぐに行き着いて、それを改めたら、あっさりと消失。

(→代謝をあげようとして過度に摂ると、原料がなければ体の方はストレスホルモンを出してリポリシスとかプロテオリシスとか起こしてきます。原料が潤沢にあればなんの問題もないけど、わたしの場合はやりすぎた。まさに過ぎたるは、というやつ)

 

とはいえ、内腿の筋肉が落ちていたり体幹が衰えていた自覚もあったので、以来その辺りを衰えさせない筋トレ(「トレ」と呼べないくらいのゆるいやつ。でないと、本来怠け者なので続かない)を継続してもいる。足の重心の乗せ方とか歩き方とか、足裏の着き方とか、段差の昇降の仕方とか、それまで無頓着にやっていたことも意識してやるようにもしている。

その甲斐あってこちらの方も調子いい。

仕事で移乗やら移動やら山ほどやるけど、これまで自分の方の重心なんて考えずにやってたから、そういうのもこんなに大事なんだなあとわかった次第。

だからこれはこれで良かった。

ぶっちゃけ、しんどい時もあったけど、もう同じことは無いでしょう。

 

 

【追記】

保存したと思ってたら予約投稿でUPされてた(笑)

 

③「これには手を出す」と決めて手を出した

 

実家の母のことです。母のためもあるんだけど、本当は父のためです。その時の父の置かれた状況がわたしにとっては辛かった。

怒りもあった。

実家との関係悪くなるかもな。手を出したらわたしの負担はかなり増えるな。

ということも納得の上。

「何もしないでこのままでいる」

「それで被る負担を分った上で、手を出す」

の二択から、

「ぶっちゃけどっちも嫌だけど、それでもどちらがより自分にとって心が安定するのか」

という価値基準で考えた。

で、「負担増でもより心が安楽でいられる方」を選んだ。

 

予想通り、物理的な負担は増えた。でも心は安楽。うん、これでいいわ。という感じ。

ここでも「出来ることしか出来ない」というのがあるので、諦めどころもちゃんとある。

以前のわたしだったら、諦めることそのものを罪悪としていたので、この選択は結構地獄の決断になったろうな。

 

 

④来年に向けて・セッションで出来た「モデル」に沿う

 

今年終盤は、セッションで出てきた「モデル」に沿って考えてきました。

これを来年も継続させていきます。

このひと月、主に形から入っていますが、より自分のものとして落とし込めればいいなあと。

 

 

来年の今日、どんなことを書いているのか楽しみ。

 

 

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